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1999/05/04
[ RuRu - 百年の歌、聞かせて - ]
〜歌い手の条件〜

 昔、私がまだ歌を歌っていたころの話である。

 私の友人で、同じ系音楽部にリキオというやつがいた。
 うだつのあがらなそうな雰囲気でありながらかっこいいというか、何か退廃的な、それもドラッグ系の退廃ではなく、どっちかというと街中で寝ているレゲェのおじさんに通じる退廃的な雰囲気が、相当いけているやつだった。

 そのころ、私は彼とバンドを組んでいたのかどうかは覚えていないが、ちょうど部室の前のコンクリートの腰かけて、彼はほうけてタバコをすって、私は自分の持ち歌を花歌交じりに、ふんふんふんと歌っていた。
 授業も引けた夕方(といってもはなから授業なんて出ていなかったが)、初夏の心地よい空気と夕暮れになるちょっと前のあいまいな時間。彼はボソリとこう言った。
 「おまえな・・・」
 「ん?」
 「時々、そうやって小声でうたっとるやんかぁ・・・」
 「・・ああ。」
 「・・・・それな、むっちゃすきやねん。」
 ポケットにてをいれて、背をかがめ、下をうつむき、彼はそう言ったのだ。
 私はお世辞にも歌がうまい部類の人間ではなかった。しかし、これは、歌い手として至福の時を味わうのに、十分な重みがある言葉だった。だって彼は、私の歌だけで幸せな時間を手にいれることが出来たのである。歌っていてよかったと思った。

 その彼と幾多の議論したことがある。
 話題は「究極の歌は存在するか?」だった。
 その歌をつくりあげ、歌えば、すべての人が幸せになる事が出来るものである。つまり、それを持って歌を作るということはおしまい。音楽の最後の瞬間である。永久機関が誕生して、すべての人や国や人々がエネルギーの問題から開放されるようなものである。
 私は「ある」といい、彼は「ない」といったと記憶している。別に怒るほどの議論ではなかったが、私は理想主義的、彼は現実主義的であったということだろうか。彼とは、昼夜場所を問わず、音楽論を交わしたが、この話題が一番印象に残っている。

 さて、実は私も「究極の歌」は正直難しいと思っている。
 さまざまな問題もあるし、そうとう難しいだろう。ただ、そこで「できません」といってしまえばそれまでで、人間は進歩をとめてしまうだろう。だからはるか遠いところにゴールをおいておくのだ。
 では、現実的な到達線とはどのへんだろう。
 たとえば、ある歌い手が歌を歌う。自分の知っている言葉で歌を歌う。そうするとそこに集まった人達が、どのような言葉を話す人々であろうが、共通の感動を得られる、というあたりだろう。ただ、ひとつ条件がある。それは、世界中あるとあらゆる場所で行えなければならない。たとえばそれが伴奏を前提とした物ならば、だめである。だって、誰かに「歌を歌って」といわれたら、「伴奏がないから出来ません」では話にならない。歌い手ならば、喉ひとつあれば、それを達成できるべきなのだ。

 今、メディアに露出して歌を歌っている人達は、玉石入り混じっていると思う。いや、ほとんどが石だろう。しかしその中から玉を見つけ出すことは簡単だ。誰が本物で、誰が本物でないか。彼らがたった一人で、私達の目の前に立って、しかも私達が目をつぶった状態で歌って、そして感動させることが出来るかどうかだ。
 いや、私の音楽は伴奏あって、あるいは私の音楽は踊りあってと、さまざまにエクスキューズを設けたがるだろうが、歌そのものの要素がきちんとひとつの感動として成り立つことが出来なければ、やはりそんなもの未完成なのである。ではなにか? コンサートで電気が切れたから中止か? 照明が飛んだから中止か? それでいいのか? 歌い手ならば、何百何千という人がいたとしても、歌ひとつだけで感動させることが出来なければだめだろう。

 これだけ前ふりをして何の話か、というとRuRuの話である。
 私が話をしているときに、「なんでそんなにRuRuにこだわるの?」「なんでそんなにRuRuがいいの?」と人によく聞かれる。つまりそういう意味で、RuRuはすごいと思うのだ。

 昔、私と組んでいたイラストレーターが、ある日すばらしい事をいった。
 彼女はインターネットのWEB上でのインタラクティブイラストレーションを生業とする。その彼女がこういったのである。
 「たとえば明日、インターネットもコンピューターもなくなったとしても、私は紙の上に絵を書きつづける。紙がなくなっても、砂の上に絵を書きつづける。」
 多くの歌を歌う人達はこうはいわないのではないか? 歌を歌い始めたころの気持ちも忘れてしまったのか?

 歌うことが大好きな彼女は、きっと、どこにいても、いつまでも歌を歌っているだろう。とても楽しそうに、幸せそうに。やさしく語りかけるように。
 そして私は彼女の歌を聞いて幸せになれるのである。
 一点のにごりもなく、はるか遠くまで響く声。たとえ激しい雑踏の中にあっても、その声に気づき、耳を傾けるのである。
 その声を、いつかみんなにも聞いてほしいと思うのである。


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