脱出のカストラート
「はーい。かわいいねぇ。写真で見ていたより、ずっとかわいいよ。うんうん。」
「えー。そんなことないですよぅ。」
「ちょっと、カメラ目線ちょうだい。ん〜〜。本当、足が長いよねぇ。いい足してるし。」
「えー。はずかしぃなぁ。」
「おっ。パソコン持つ手がなれているな。かっこいー。」
「えへへ。マック持ってるんですよ。美大志望なんでお絵描きしたりしてまーす。」
全く、カメラマン兼エロフェッショナリストの新井師匠に師事しておいてよかった。いつも師匠がオンナを口説いているときは、ショウモナイと思っていたが、こんな時に役に立つとは。まぁ師匠のモデルさんとのコミュニケーションは絶品で、ほうっておくとDOS/V magazineの撮影でも脱がしそうになってしまうほどである。
さてこうして女子高生モデルのS乃ちゃんの撮影は、和気あいあいと終わった。原稿のほうも、ムックを書けといわれても、即座にかけるほどネタをため込んでいたので、あっという間に仕上げてしまい、罪の意識にとらわれながらも、当面の課題は南の島にどうやっていくかに移り変わっていた。
前にも少し触れたが、日本から行ける手軽なダイビングスポットはいくつかある。ハワイ・グアム・サイパンなどはその最たるもので、時期を選べば器材を全部レンタルしても、沖縄へ行くより安い、リーズナブルさである。しかし、もはや時は寒風吹きすさぶ11月。南の島もすべてオフシーズンに入っている。タフなダイバー達は、冬は海が澄んでいて良いというのであるが、所詮私はスチャラカダイバーである。寒いのに潜って、風邪を引いては原稿が書けないので、パスしたいのである。じゃあ赤道近くのスポットはどうかというと、軒並み10万円オーバー。赤道を超えると20万オーバーもざらである。いくらなんでも20万円を出す余裕はない。10万円以内に押させなければ、年越しのもちも買えなくなってしまうだろう。何とか安く、何とか早く行かねば。それだけがぐるぐると回っていた。
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ソフトバンクで誰かに相談しようと思ったが、非常階段でビバークする編集者がいる会社に、余暇にダイビングをする趣味人もおらず、やはり自力で、下調べからすべての手配をしなければならない。とりあえずはab-roadを購入し、旅行社に片っ端から電話して、こういった。
「7〜8万円以下でいけて、なるべく南で、今あったかくて、ダイビングができるところありませんか。」
カモと思ったのか、旅行者は一生懸命調べるフリをして、こういった。
「ロタ島なんかどうでしょう。」
聞けば、値段もいいし、サイパンで乗り換なので、南のほうにあるらしい。値段もサイパンの1.5倍なので、サイパンより50%は南に行けるはずだ。結構あっけなく決まったので、うきうきして、本屋に行き、世界地図を調べる。サイパンの南にそんな島は見当たらない。悪い予感がする。家に帰って水中写真の本を見ると、名前は載っているものの場所は分からず、さらにもうシーズンオフである。頭に来て別の別の本で調べると、何とロタ島はサイパンとグアムの間にある。チクショー。なにも分からないと思って馬鹿にしやがって!。即刻電話してキャンセルしてやった。キャンセル料が何たらとかいいやがるので、「とれるもんならとってみろ。バーカ!」といって電話を切ってやった。
頭に来つつ買ってきたダイビング雑誌を斜め読みしていると、今はパラオに行け、という特集が組まれていた。パラオ、全然聞いた事ない名前であるが、どうやら海が綺麗でとってもいいところらしい。しかも件の本を見るとシーズンである。しかしきっと値段は高いだろうと思いつつパックツアーの料金を見ると、ダイビング料とボート代込みで10数万円である。フルパックなので、ちょっと高いのだろうと思い、再びab-roadをめくってみると、こちらには一件ものっていない。不思議に思いつつ、別の旅行社に電話してみると「先日、空港と町を結ぶ橋が落ちてましてね。パックツアーはお客様にお勧めしていないんですよ」という。
勧めていない→ないわけじゃない→しかも空いていそう→安いかもしれない。そう思っていくつかの旅行社をあたると何とか7〜8万円の値段でチケットを手にする事ができた。これで取り合えず出発の日付は決まったわけだ。
●編集は泣くのが仕事
問題は原稿の締め切りである。私は常時連載を20Pほど持っている。しかもかなり入校が遅いほうなので、5泊6日の日程をひねり出せるかが、次のポイントとなってきた。しかしこの点に関しては、少々自信があった。締め切り前に原稿を入校する自信ではなく、世界中の何処からでも電子入校する自信が、である。いやしくもDOS/V magazineのライターでありつつ、モービルコンピューティング誌MobilePCのライターである私は、「文月さん、原稿はいつ頂けるんですか」と聞かれれば「まかして、旅行先から送るから」と答えなければならないのである。もちろんそれなりの裏付けもある。例えば、私は通常のインターネットプロバイダーとしてBUTAMAN INTERNETとRIM-NET、ワールドワイドのインターネットアクセスのためにMSN、パソコン通信を通じたアクセスのためにCompuserveとNiftyserveに加入しているのだ。およそ電話が通じている文明国ならば、地球の裏側からでもアクセスして見せる自信はある。しかし、渡航を前にして編集者に事情を話しているうちに、一寸気になる出来事があった。滞在先のホテルのFAXを教えて欲しいと言われたので、先方に電話したときである。
「もしもし。」と聞いても返事がない。
「Does anybody speak Japanese?」
「No!」
ダイビング雑誌にも、このホテルを使用したパックが組まれていたので、まさかとは思ったが、誰も日本語をしゃべらないという。まぁ、これ自体はよくある話なのだが、今時ロサンゼルスのパソコンチョップでさえ「チョトマテクダサイ」ぐらいは言う。つまり日本語がしゃべれる人がいないばかりか、日本人を受け入れる体制がないのではないか、という不安感である。だがホテルの名前は「パラオホテル」である。日本で言えば「日本ホテル」と名乗っているようなもので、場所も首都の目抜きどおりにあるそうなのだ。とりあえず、その場の不安感は払拭して原稿を書き上げる事に、全力を傾注した。
しかし、当たり前というか、当然というか、渡航前日になっても、原稿は全く上がらなかった。しかもあがったDOS/V magazineの原稿に関しても、内容をチェックしなければならないものがある。ところがゲラが出てくるのはパラオ真っ最中である。不測の事態に備えて、本格的通信環境を確保するために、各種器材で針ねずみのように武装する事にした。持っていった器材は何と、ノートパソコン2台、カードモデム2枚、据え置き型モデム1台、音響カプラー1個、デジカメ4台、外付けCD-ROMなどなど、余裕でスーツケースの半分を占め、しかもこの他に銀塩カメラをカメラケースに満載して持っていくので、その量たるや壮絶なものがあった。そして、とうとう渡航当日、やはり原稿が終わらなかった。多分徹夜しただろう編集者から朝方電話があった。
「あの、原稿できましたでしょうか。」
「できてません。」ブチッ!。
うるさそうなので、電話を留守電にしておく。今度は別の編集者から携帯電話に連絡が入る。
「どうでしょう、原稿は」
「君。入社して何年?」
「・・まだ2年ですが?」
「そう。いいこと教えてあげよう。編集者は泣くのが仕事だ。」ブチッ!。
さらにPHSまでなりだすのでシカトをきめこみ、ホームページを速攻で書き換えて、家を出た。ただ、泣かせるばかりでは少し可哀相だったので、成田空港からグレー電話で「ごめんちゃい。行ってきます。」と、各編集部に打って旅立ったのだった。
ドタバタしたワリには、旅なれた私は平気だったので、泣いたのは編集者だけだった。しかしスムーズに行った裏には罠があったのである。

当日、アップロードされた私のホームページ。一部の編集者パニック状態になったそうだ。