溝にはまってカストラート

●さらにるんるんおそるべし
 私のチームの部下、人妻セクシーダイナマイト兼常務の愛人るんるんの機転により、課長島耕作よろしく、私は休暇に入った。
 さらに付け加えると、るんるんの悪知恵はこれに尽きなかった。退職と同時に完済せねばならない自動車ローンについては、事務員同士の横の連携で例外ケースを探し出し、それに従って話を進める事で、保証人を立てて別途借り直す手配ができた。しかも何と現在よりも低い金利で、かつ借り直しなので、返済期間は延長ときたもんだ。また、退職日延長の話も、実は前例に基づいたストーリーであり、改めて彼女の頭の中のスピードの速さに感服するのだった。ただし、あくまでもルーチンワークの中だけの話なのだが。しかしこいつのだんなは、自分の妻にパパがいたなんて知ってるんだろうか。いや、今はそれについては問わない事にしよう。ありがとうるんるん。君の協力はきっと忘れないよ。
 というわけで、残りの100万近くの工面のために奔走することになったのである。一応記事を書いている編集部にも、退職する旨事情を説明した。みんな心配して仕事を回してくれる。回してくれたらペーペーの私は断らずに頑張って仕事する。しかし、忙しいのは今、原稿料が払われるのは2月後、これでは手後れである。現金、現金と考えているうちにやはり、最後は借金するしかない、という結論に達した。私が6年間、身を粉にしてスチャラカに勤めても、退職金は20万しかないのである。大企業なんてこんなもんである。

 意を決しておもむろに電話機を取る。大学の恩師に借金を申し込むために、である。
 「あの、文月ですが、先生はいまどちらにいらっしゃいますでしょうか。」
 「あら、文月さん?。彼、いま信州なのよ。それよりもね、息子の真樹が、また酔っ払って書類を落としてね、・・・・」
 以後10分ほどご子息の話を聞かされた。しかし所在はつかめたので、善は急げと、即座に車にのって信州へと向かったのである。信州は上信越道が開通してから、だいぶ近くなった。がんばって走れば3時間ほどで、結構山深いところまで行ける。しかし、まだ4月中頃だったため、恐れていた通りだった。信州はいまだ雪だったのである。しかもかなり春めいてきてはいるので、半分は解けている。つまり、夜は恐怖のアイスバーンになるだ。しかしローンの根元、私の愛車は日産のテラノである。しかも阪神大震災の教訓から、災害復旧用にワイヤーを巻き取るウィンチをつけてある。仮に何かあっても、これさえあれば脱出できるのである。
 佐久という所で高速を下り、旧中仙道を走って、古い宿場町望月へ。ここから山道に入って数十分走れば、先生の別荘である。先生はここあたりの地域の活性化に興味を持っており、地域の人との交流をよく行っているのである。その縁あって、ここに別荘を構えることになった。さすがに山道に入ると、雪に轍ができている。取り得ず四輪駆動にして走ればものともしない。しかし、そこかしこに溝にはまって放棄した車があるのはギョッとした。
 あと、2つ曲がれば別荘というところである。角を曲がろうとすると、前方の道路を外れたところに車が停まっていた。ポジションランプが点いているので、まだ、はまった直後らしい。というより、この車は私が手を入れた覚えがある。先生の車である。車を少し後ろに停めると、案の定先生が車の中から出てきた。私を認識して、「いやぁ、あはは。道が凍っていてね、はまっちゃったよ。」と声をかけてきた。
 「今、連れの人が助けを呼びに行ったところだ。」
 先生は酔っているので、多分里の人が、送ってきてくれたのだろう。程なく助けが来るのだろうが、ここは一つ良いところを見せてポイントを稼ぎたいので、自慢のウィンチで車を溝から引き上げることにした。ウィンチのワイヤーを引き出し、先生の車のフックにかける。
 思えばこの先生には、就職が決まったときに、上京する資金がなく、その時にも借金したことがある。この車はそのお返しにと、私が営業マン時代に、お客さんから買いたたいてプレゼントしたものなのだ。
 フックを掛け終わり、電動ウィンチのスイッチをさして、巻き戻しボタンを押す。けたたましい音とともに、ワイヤーのたるみが巻き戻っていく。ガンと音がしてワイヤーが張り詰めた。あとは引っ張るだけである。再度スイッチを入れ、巻き戻し始めると、先生がこっちを見て何か言っている。
 ”先生、照れてるんだな。くっくっ”
 どうやら違うらしい、何か手招きをしている。その時、どん、という衝撃とともに、激しく背中を押されて、横に弾き飛ばされた。雪に突っ込んだ私の横を、愛車がずりずりと滑り出し、まっすぐに先生の車に突っ込んでいった。鈍い音とプラスチックが割れる音がして、車は停まった。雪でよく見えなかったけど、若干坂道だったのね。
 「・・・・スンマセン・・・・」
 「いやぁ。次の車、よろしくねぇ。」

 借金をしにきて負債を増やしてしまったのだった。